2月/21/2013

あきらめるということ。

P190

私事です。

あきらめるということ。
私の中でいい意味のあきらめる。

本当、最近になってやっと覚えた。
それは物事ではなく、人に対しての事。

私としては、疑いもせず、信じ続け、自分も先人にしてもらった事で、その時わからなくても、後々にわかる、「あ、あの時あの人が言ってくれた事はこういう事だったんだ!」と気付き、経験という経験が本当に自分自身の宝となっている。

それを踏まえた上で私は言うべき人、言わなくてはならない人、分をわきまえて(たつもりですが)分け隔てなく自分の経験した事、してきた事を惜しみなく教えたり伝えてきた。だが、いくらまずくても、チョット?と思っても言うべき人でないヤツには見て見ぬ振りします。
私が言うというのはよっぽどな訳です。

…が、最近、人間には、まったくそういった事を言っても一ミリも響かない種類がいる事を星まわりの人がいる事を、九星気学*伝承学を学び知りました。もちろん、人の性格も手伝ってとか、私の言い方とかが、多少という事も有りますが…。

多分その種類の人は上辺で「怒られた〜、怒ってる〜、キレラレタァ〜、また言ってる、言われた〜」という感じで、何故言われたのか、そういった原因は?とか考えられない?わからない?捉えられない?人なのだろう。

その種の人に私はあきらめず、伝えるベキ事、あの手この手考え伝え続けて来た。

…一ミリも伝わらなかった。響いていなかった。おそらく、将来言われた気付きさえもしてくれないだろう。

早く、あきらめればよかった。

もう少し早くこの九星気学*伝承学にっ会っていたら、こんなに悩まず自己嫌悪に落ちる事なく、早くに諦め、切り捨て、違う所へのエネルギー使えたかもしれない。自分自身不器用に生きてきたので人に対して諦めるという事は考えてこなかったのだ。それはある意味とても哀しく淋しくないか??と思ってた。

だが、そんなヤツ程何も考えてなく、私は見下されしまいには疎外された。

言ってきた事は何だったんだ?と思う反面、ここに文章として書き綴る事によって、心の整理となり、私の経験という事の中の一つとなってゆく。

これもまた経験。

モノ作りにおいては、中村勘三郎さんも言ってた様に、あきらめず邁進してゆきたい。

長い〜独り言、お付き合いありがとうございました(^-^)/

1月/28/2013

尊敬です。

P176

私事な意見、感想です。

12/27、友人と一ファンとして、築地本願寺へ中村勘三郎さんの一般お焼香に行って参りました。

約二時間半並んで、中に入る事が出来ました。中へ入る前はこの日の為に作られた15分間の中村勘三郎さんの生い立ちや、なして来た偉業などをまとめたビデオが繰り返し流れていました。
お焼香が終わって流れに沿って退出しようとすると、御子息の勘九郎さん七之助さんが立ってご挨拶しておりました。その先には中村屋のお弟子さん方々が立っ
てご挨拶しておりました。
ビデオみて、泣き、兄弟でのご挨拶に泣き。

歌舞伎の中村勘三郎さん。
私はこの方の女形がとても好きでした。
女性よりも愛らしい女性を演じていらっしゃいました。
古典も、それから野田さんとの三部作は観ました。渡辺えりさん演出もとても素敵でした。
本当に彼のバイタリティーは凄いです。
何が凄いかというか。
新しい風を歌舞伎に吹かしたのはもちろんですが、それよりも!凄いのはちゃんと古典を演じ切り、そしてそれは、ただ演じるだけでなく、技術も凄い。

先日、歌舞伎の勘三郎さんを知りもしない人に「勘三郎は凄い」と一ミリもわかってない奴に語られた時は無償に腹立ってしまいました。

もちろん、私もさほど知っている方ではないが、一般人ならまだしも、肩書きが「プロデューサー」つく人で、世間一般の意見でモノ言う事に苛立ちを覚えた。

何故、古典が今あるのか、今に残る伝統芸能であるのか。
古いからではない。
それだけではない。
先人の絶え間ない努力によって、洗練に洗練されたモノが今に残る作品なのです。だから、映画や舞台などが名作が名作の様にその時代に合った演出をされることにより、何度もリプレイされ、磨かれ進化していき、今の姿であるわけである。(と、私的意見)

私の大好きな「京鹿子娘道成寺」でも、演じる役者さんによって結末の落ち?がかなり違う。
それは、元の形式とかなりの違いがあり、解釈も少しかわってくる。

まあ、少々話しがそれましたが、如何に勘三郎さんは周りの人々に、愛し愛されたかのわかる、お葬式でした。

流されたビデオで最後に勘三郎さんが言っていた言葉。
「諦めない事だよね!」

その言葉を胸に私自身も一歩一歩諦めず邁進しようと思いました。

亡くすにはとても速すぎました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。