私事です。
あきらめるということ。
私の中でいい意味のあきらめる。
本当、最近になってやっと覚えた。
それは物事ではなく、人に対しての事。
私としては、疑いもせず、信じ続け、自分も先人にしてもらった事で、その時わからなくても、後々にわかる、「あ、あの時あの人が言ってくれた事はこういう事だったんだ!」と気付き、経験という経験が本当に自分自身の宝となっている。
それを踏まえた上で私は言うべき人、言わなくてはならない人、分をわきまえて(たつもりですが)分け隔てなく自分の経験した事、してきた事を惜しみなく教えたり伝えてきた。だが、いくらまずくても、チョット?と思っても言うべき人でないヤツには見て見ぬ振りします。
私が言うというのはよっぽどな訳です。
…が、最近、人間には、まったくそういった事を言っても一ミリも響かない種類がいる事を星まわりの人がいる事を、九星気学*伝承学を学び知りました。もちろん、人の性格も手伝ってとか、私の言い方とかが、多少という事も有りますが…。
多分その種類の人は上辺で「怒られた〜、怒ってる〜、キレラレタァ〜、また言ってる、言われた〜」という感じで、何故言われたのか、そういった原因は?とか考えられない?わからない?捉えられない?人なのだろう。
その種の人に私はあきらめず、伝えるベキ事、あの手この手考え伝え続けて来た。
…一ミリも伝わらなかった。響いていなかった。おそらく、将来言われた気付きさえもしてくれないだろう。
早く、あきらめればよかった。
もう少し早くこの九星気学*伝承学にっ会っていたら、こんなに悩まず自己嫌悪に落ちる事なく、早くに諦め、切り捨て、違う所へのエネルギー使えたかもしれない。自分自身不器用に生きてきたので人に対して諦めるという事は考えてこなかったのだ。それはある意味とても哀しく淋しくないか??と思ってた。
だが、そんなヤツ程何も考えてなく、私は見下されしまいには疎外された。
言ってきた事は何だったんだ?と思う反面、ここに文章として書き綴る事によって、心の整理となり、私の経験という事の中の一つとなってゆく。
これもまた経験。
モノ作りにおいては、中村勘三郎さんも言ってた様に、あきらめず邁進してゆきたい。
長い〜独り言、お付き合いありがとうございました(^-^)/